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[327]名無しさん(ザコ):2009/04/11(土) 01:11:56 ID:f64elFcU0
趙雲という男は、並みの手練れではなかった。成玄固の方は、馬をよく扱う。多分、烏丸の出身だろう。麋竺というのは、文官にしか見えなかった。二巻で、曹操に負けて徐州に来た呂布が初対面の劉備の幕僚を評する場面である。趙雲・麋竺についてはわかる。麋竺を文官として、ほとんど興味をもっていないのは呂布らしい。問題は成玄固だ。この場面は室内である。劉備たちが部屋に入ってきた、という文から明白である。だとしたら、初対面の成玄固がどうして馬をよく扱うと知りえたのか。可能性は次の三つである。@成玄固の容貌や服装から漢民族ではなく烏丸だとわかった。騎馬民族であることから類推した。A呂布は人を見た目、身のこなしなどから、馬がよく扱えるかどうかがわかる。B成玄固は室内でも馬に乗っている。@はありそうだが、そうだとすると文の順序がおかしい。「成玄固はおそらく烏丸だろう。馬をよく扱うようだ」となるはずである。Aはどうか。自分で兵士を選抜して精強な黒い騎馬隊をつくった呂布なら、できるかもしれない。しかし、やはり文の流れ的に、断定口調は不自然である。北方三国志なら「成玄固は馬をよく扱うだろう、と呂布は思った」とでもなりそうだ。以上の考察から、B、即ち成玄固は室内でも馬に乗っていたのだと考えられる。目の前で見事な馬術を見せられ、驚嘆する呂布の姿が想像できよう。一巻でも孫堅が「人馬一体」について語っていたが、まさに成玄固は「人馬一体」なのだ。さすがは烏丸、騎馬民族である。
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